あれから3年
人生はじめての入院を経験し、早や3年経ちました。今、思えば震災直後の過度のストレスが原因かも知れないと感じます。
震災前からの親父の入院、入院前までは元気で口も聞ける状態で軽い脳梗塞との診断、一週間も入院すれば直りますとの話しを聞き、入院したものの見る見るうちに植物人間となったことへの、あの時にしっかり調べて下さいと病院に言わなかった事への罪悪感が、今でも後悔しています。
その後の震災、日々、気持ちが萎えてしまう自分を垣間見ながらも無我夢中の心境であった。あれやこれやで区切りが着いた安堵感を感じた頃より周囲を見渡す風景に違和感を感じる。ちょっと目が調子が悪いのかと思いつつ、眼科に初めて行く。
診察の結果は、生活習慣病、日々の不摂生が原因、糖尿病と診断され、あざ笑いながら「私は、糖尿病です」という健康手帳を渡され、内科の検診をして来て下さいと言われ、内科を受診するものの、糖尿病ではないですと言われる。
今の糖尿病の基準が違う事を教えられ、眼科の先生の無知な事を知りながら、一週間後に眼科へ行くが、その時までの視力がどんどん落ち、周囲がかすんで一人で歩く自体がままならない状況であった。
診察後、ヘルペス性のブドウ膜炎と診断され、紹介状を持ち、緊急入院、入院後は24時間の点滴と目に注射をすれども一向に回復の兆しも見えず、高家圧、毎日の血圧測定の結果、200と異常値、 それよりも娘から言われた免疫力効果に期待できる漢方薬を処方していたらどんどん視力が回復している実態だったが、病院の方々には言えないのが実情であった。
毎日の血圧測定も看護士さんから「なんで高いのでしょうね」と言われることと朝の検診がストレス、しかし、退院前に主治医である先生からの別病院で原因を調べた結果、失明はあり得ませんと言われた言葉が何よりも嬉しかった。但し、原因不明と言われた。
退院後、血圧が高かったのは薬のせいだと内科の先生に聞き、あの看護士の言っていた事に愕然となってしまった。
そうこうしているうちに早や、3年となり、今は、この通り、ブログもできるようになりました。
私と同様の病気で15年もの間、苦しんでいる方がいることを知り、私自身、こんな事でと奮起する元気を頂いたように思う。
今は、漢方薬とB12と野菜を中心とした食生活で日々、過ごしています。後は、朝のウォーキング時の目の体操を欠かさずしています。
追記:目の病気は怖いものです。しかし、目の治療薬に関しては、一番、遅れている為、副作用も多いのが現実なそうです。
後は、ある方より聞いた話しでは、自分の身は、自分で守ることが一番に重要なそうです。その方のお母さんとお父さんも誤診されて亡くなったことと、今、自分自身も薬の副作用で苦しんでいます。