リオのオリンピックでのアスリートの方々の数々の試合においての感動を頂き、感謝しています。
いくつものプレッシャーの中で勝つ事へのあくなき拘りというか執念が形となり、結果を生み、見ている我々に感動を与えてくれたものと思います。
その中で人類史上の霊長類と言われた吉田選手が、「皆の期待に応える事ができず、ごめんなさい」と言っていたが、それでも銀、思わず有難うと言いたい気持ちでした。
そんな中、21日の午前5時30分からブラジル対ドイツのサッカー決勝戦を見て改めて日本代表のサッカー選手との技術レベルのみならず勝つことへの拘りの差も違うと痛感しました。このことは、同様にサッカー以外の日本代表のアスリートの方々とも温度差があるように感じました。
インターネットなどの投稿内容を見れば手ぶら森監督、手ぶらな為、隠密で帰国したとも言われています。韓国のように玉子をぶつけられるような状態です。
ブラジルは、前回のワールドカップでの負けた原因のDFの強化としてFWを含めた対応がされていてあのFWのネイマール自身が前後に動くDFと同様なポジションの位置に回る光景を見て、日本チームではできない、かなりの運動量だったと感じました。
DFでは、常に2対1で相手のFWを食い止め、ボールを取り返す戦術、その為、試合全体のブラジルチームのボールコントロール率は58%とドイツチームより高い結果となりましたが、試合は1対1の引き分けに終わった。
シュート数は、ドイツよりも少なかった原因は、ドイツは、危ないと判断すればコーナーやタッチラインへボールを蹴り、逃げる為にその分、コーナーキックの数が多く、背の高さで上回るドイツにチャンスをことごとく潰された結果が引き分けの起因にもあったように思われます。
どこかの国のようにオーバエージの人間が自分のゴールに蹴り、足を引っ張ることなく、ブラジル、ドイツ両国のオーバエージの選手は、その役割を担い、どちらも先取点やら同点のゴールをしたりでチームに貢献する活躍していました。
ドイツもブラジルも素晴らしい試合をしてくれた事に、久々に試合全体の緊張感があり、ワクワクしながらサッカーを見た思いでした。
また、昨日の高校野球、夏の甲子園大会では、準優勝した北海の大西投手の「最低で最高のチームでした」という言葉を聞き、私自身の日々の社員に対しての言動を含め、思い当たることがあり、反省と勉強にもなりました。
最低で最高は、前回の甲子園大会で1つのアウトも取れず、負けた事が、きっかけで、独りよがりであった事を知り、自分一人がではなく、チーム全員が常に一人ひとりに感謝と励ましを掛けることでチーム全員がお互いを認め合い、助け合う気持ちがチーム全体のパワーとなり、思っている以上の力が発揮できるすばらしさを実現できたことが最低でも最高のチームで野球ができた事がうれしかったという言葉になったそうです。
試合途中でピッチャー交代し、レフトにまわって守備をしていてもリリーフのピッチャーがアウトを取るたびごとに拍手をしていた大西選手の姿を見て高校生から人生の教訓を教えられたような気がします。
今まで勝ち続けて見えなかったモノが、負ける事で見えなかったモノが見える、得る事ができる。
まさしく人生、負けるが勝ちという言葉がありますが、辛い時、悲しい時、そんな時こそ、ピンチの時こそチャンスと思い、マイナー思考からプラス思考へ切り替え人生を謳歌したいと思う心境になりました。