思い込み
先週、ある方よりホームページ(HP)の件で見る件数が多くても物珍しい内容なので見るのではと言われる。
自分としては、出来るだけの内容を知らせたいばかりにあるだけの内容を盛り込んだつもりが、逆に見づらい内容となっていることを知らされ、気づく。ある方からは、1ページ内に盛り込むので焦点がボケてしまう。
様々なご意見を頂き、再度、HPを見て、こんなに情報量を盛りだくさんでサービス満点と自分自身の思い込みで自己満足していた自分に気づく。
このままではと思い、アドバイスされた内容を忘れず、修正をしながらもせっかく苦労して作った内容を削除しながらも躊躇しては、後戻りしたりで纏まらずの繰り返しをするばかり、後で見ては、見づらいなどを続け、ようやく今朝、修正を終わった。
見てくれる人に分かり易くと思い込んで何度も同じ表現、熱い気持ちが返って見る人には苦痛を与えたように思える。
思い込みと熱い気持ちが交差し、自己満足の自分でしたが、やはり大学の運用を分からない方に分かって貰う為の表現することは大変だと思います。
文教以外の運用の流れは、殆どがデータ発生源での対応、発生源での対応をしない為に、いろいろな弊害が多いことも事実。
しかし、文教のシステム殆どが発生源での対応がない。
昔は、文教は慈善事業と思い込み、他の業種の仕事をするSEが殆どだったことも影響しているのかは、わからないが、システムの根幹である発生源を甘く見ているように思われる節がある。
これを言えるのも今となってのことで、その世界にどっぷり漬かるとそれが普通に見えていたから不思議。
それに運用の流れ自体を捏ねくり回すことが多い気がする。他の業種ではないこととして教員、学生、職員のそれぞれの立場が違うことが問題の原因なのだろうかと感じるが。。。。。。わからない。
それにしても問題となる事柄を一度、まったく違う業種のシステムと見比べて見ることで分かるような気がする。
それにしても、思い込みというモノは、他所が見えなくなってしまい、それが普通と思ってしまうトラウマのような気がしています。
最後に、アドバイスを頂いた方には、感謝を申し上げます。まだまだ思い込みのHPとは思いますが再度、ご覧になって戴き、ご参考のご意見を頂戴したいと思います。