地デジ開始から思う昭和の時代
先日、地デジが開始するとの事で駆け込みをするよう地デジ対応のテレビを手配したものの、台風の影響で28日になります。
と言われ、それではと思い、チューナーを買うつもりで家電販店へ、5,000円程度のモノはなく19,000円台のモノばかり、少々、高いなぁーと思い、躊躇する。
まっ、24日の正午から28日までの間、テレビを見ないよう我慢すればと思い、家路に着く。
今、思えばテレビのなかった時代に生まれ、徐々に裕福な家庭にテレビが浸透してきた頃の昔を思い出す。
月光仮面、力道山、隠密剣士などをテレビで見たい為にテレビのある家庭によく行ったものだった。その頃の時代はどこの家庭でも夕飯の支度など外に置いた七輪で魚を焼いている光景などや穴の開いてズボンを補修し、穿いているのが普通だった。
それでも貧しいとか、格好が悪いなど一切考ることなくテレビのある家に行っては、限られた時間の範囲でテレビを見たものであった。その当時を思い出すとお小遣いなどもなかったものの今より楽しみがあり、目的が明確であった点で単純な中にも心は豊かであった。
中流層、貧困層などの意識もなく、近所付き合いという意識もなく、どこの家の子供という意識もなく、悪いことをすれ親以外の方からも叱られたりすることが多かった。参観日などで親が学校に来ることがなかったものの親からは、悪いことをしたら叱っておいて下さいと先生からよく言われて育った時代。
今でもそんな時代が懐かしく感じる。その当時は貧乏は普通で鉄線などを拾っては集め、廃品回収屋へ売っては小遣いにしたものだったが、5円、10円の世界でも駄菓子屋行き、駄菓子を買い、当りかおまけが出ると唯一、嬉しかった。
今、思うとなんとなくモノ、金、情報がいつでも入手できる時代になってくるにつれ、自分も含め、物欲にだけ捕らわれ、だんだんと心の豊かさが失われているような気がしてならない。
そんな事を思いながら、気がついたら、あっという間に13:30分、アナログ放送から地デジへの切り替えとなったのでアナログのテレビに恐る恐る電源のスイッチをONするとなんとなく声が聞こえきた後に今までのように画像が出る。
えっ、テレビが見れる。おまけで見れるのかと一瞬、疑う。なぜと疑問を感じ、おまけであれば次の朝にもう一度、テレビをつければわかるはずと思い、次の日にテレビをつけるといつものように見れる画面と音声が。。。。
昨日の晩に、ようやく地デジのテレビが到着しましたが、買う必要性があったのかが疑問な今日の心境です。