2016/1/29 金曜日

反省

Filed under: 未分類 — wakayama @ 10:53:30

見て気づいて欲しいと思っているが、見るにも見れない内容であったホームぺージと反省をしている。

訴えたいことを高輝度にしたら見る立場からは言わせれば、目がチカチカして長く見れないことがわかったような気がする。

しばらくぶりに以前に作ったページを見ると訴えたいことが多くてピンボケしてしまう。

慣れない時に作った内容を眺めては、ため息が出てしまう。

愚痴をこぼしてもどうしようもないと思い、先に進む上で修正をしながらも超大作になったことへのため息が続くと共に、折角、作ったのにとの思いがあり、捨てる勇気がない為に何とか形だけは残したいが邪魔になり、混迷する。

社内の人にも言えないまま葛藤しながらもようやく終了するが、現在、同様のシステムを導入して運用しているお客様は、こんなものと案外、割り切って使っているのであれば、今の苦労も水の泡になるかもと不安になってしまいながらも。。。。

今の現状を改善することがお客様にとって良いはずだと一心に、ようやく修正が終わって、自分ながらも案外、センスが良いと自己満足に浸っている今の心境です。

2016/1/11 月曜日

いつでも、どこでも誰かを悪者扱い

Filed under: 未分類 — wakayama @ 10:21:54

今朝、一部、手抜きをしていたホームページの内容を修正し、終了。

ようやく今朝のニュースをインターネットで眺めていましたらアメリカの大統領候補の演説で女性が退席されたという記事を見る。

いつも、どこでも誰かを中傷する話題に目を惹くのは人間の心理なのだろうかと思いながらも今までの時代背景にも同様な事があると思う。

以前は社会主義が悪いとの風潮が、ソ連がなくなったら今度は、イスラムが悪いと風潮する様を見ていると仮想の悪者を作り、非難する、中傷することで話題作りをする。

それを何度も何度も繰り返して言うことがもっとも大衆の心理を掴む上で簡単なものだとヒットラーも言っていたそうです。

イスラムが悪いのではなく、世の中からスピンアウトした、行き場がなくなった人間が、自分の居場所を求め、イスラム国へ行くと聞いていたが、なぜ、スピンアウトをと思うとアメリカ自体が成果主義、グローバルな世界を掲げ、やってきたことが弱肉強食の時代背景を作り上げてきた結果ではないかと感じる。

元々、狩猟民族と農耕民族の視点、観点の相違はあるものの、それをグローバルにすること自体に歪が出てくることは当然ではないかと思う。

狩猟民族は、常に獲物を求めて移動をする。その獲物を見つけ攻撃をする。

今の獲物は、仮想に作った悪者=イスラム、まるでトランプ?ゲームのババ抜きと同様、ババを掴んだら負け、ババを引かないようにすれば勝つ、だからババがなければゲームにならない。

簡単明瞭な事が大衆に受けて当然、手段を選ばずのトランプのババ抜きだけは耐え難い内容ではあるが、偏った一部の人間が言うジハードだけは許し難い、昨年の今頃、惨殺された後藤健二さんの事を思い出します。

化学兵器があると間違った情報を流し、仮想敵国を作り上げ、世界の警察と言わんばかりにイラク攻撃に踏み切ったアメリカがすべての悪の根源ではないかと思います。

「人を致して人に致されず」とういう孫子の兵法にありますが、情報戦が間違えれば昨日のNHKの大河ドラマの武田勝頼のように身内の裏切で崩壊するのではと感じます。

2016/1/7 木曜日

日本企業にダメ上司が多いわけ

Filed under: 未分類 — wakayama @ 8:08:27

今朝、インターネットの中で表題の内容の記事があった。

内容を見てみれば無関心な上司が多いとあるが、可もなく不可もなくの偏差値教育からきた賜物だと感じる。平均点だけに拘った結果、個性がない人間ばかりで、人と違った事をしょうとも思わない。上司ばかりの問題だでなく、部下も同様と思う。

以前に「名選手、名監督にあらず」と長嶋選手が監督になった時に良く言われたことを思い出す。しかし、この内容に対してその当時の鶴岡監督が「名監督、されど名選手も必要」と反論したことがありました。

選手と言えども素質と人と違った練習方法、量と個性があって名選手になるものと思います。監督になる人は、選手時代に輝かしい面だけではなく、名選手になる為にいろいろな挫折も経験されてきたはずです。そんな苦労されてきた人が名監督になれるんだと思っています。

現在、日本では起業しようとする人間が少ないのも事実、良い上司と言われる中でも独立しようと思う気持ちがあっても当然ではないかと感じますが、その点、起業しようと思う人間が少ない、ダメ上司が多い理由ではないかと思います。

苦労した分、器が大きくなり、周囲の人達からも人望が厚い、そんな人間に私は、なりたいと宮沢賢治が言うように日頃より苦労だけをしている自分が、少々、疲れ気味の今日この頃です。

2016/1/6 水曜日

お正月は映画三昧

Filed under: 未分類 — wakayama @ 18:08:39

お正月はゆっくりと映画を見たいと思い、ビデオレンタル店に行き、店員さんからお勧めのビデオを借りました。

その中のルーシーというタイトルの映画が考えさせられる内容であった。

ストーリーとしては、殆どの人間の脳は10%程度しか使っていないのが現実なそうですが、海外に麻薬密売する目的の為、あるLSDのようなステロイドを人体に埋め込みされ、ある事がきっかけで埋め込んだ薬物が人体に漏れ、それが原因で段階ごとに脳が覚醒され、脳の使用する割合が増えていく内容を描きながら最終段階の100%に達し、フル活用した内容を演ずるまでのストーリーとなっています。

20%〜40%程度で恐怖心、苦痛や痛さなどがなくなり、先の展開が読め、人間を含め、すべてをコントロールができ、さらに50%以上になれば地球自体が発するパルス信号が見え、ネットワーク回線のように自分自身がコンピュータの役割となって電話口の相手の場所の光景や考えている事すべて分かることで、そこから自在にすべてをコントルールする事ができる。

但し、この時点で自分自身が死ぬ事も予測でき、脳についての研究論文の著者である教授役のモーガンフリーマンに今の自分自身の事を電話で話し、合うことを約束する。

さらに80%を超えると自分のDNAから過去までの情報を引き出し、原始時代〜現代の間を何度もタイムトラベルのように空間移動をする事ができるようになり、100%になって幽体離脱するような感じで体が消滅し、魂のみでコンピュータを自在にコントロールし、相手に伝えることができるになってしまう内容でしたが、100%になった時にちょっと残念な気持ちにもなりました。

それは、これを演じていた女優さんのスタイルの良いことと初めのシーンではどこにもいるようなちょっと軽めで、目の焦点が定まらないトローンとしたギャルぽっい感じの女性を演じながら段階的に変わっていく姿と目がとても鮮明で印象的でした。その役になりきっているようで流石、役者だなぁーと感じました。

どこかで見た女優さんだと思っていましたが、あまりの変わりようで分からず、後で聞いたらアベンジャーにも出ている俳優さんだと聞いてわかりました。あのスカレット・ヨハンソンでしたがアベンジャーを見た時は、話題自体が先になった点であまり演技自体の評価は薄らえでいました。

最後のラストシーンでは、やはりこうなるんだと思いながらも、もし、今の自分自身だったらどうなるのだろうかなぁーと思いにふける映画でもありました。

今、ほんとうに自分自身、10%の脳を使っているのかなぁーと思うと常日頃、忘れっぽい点があるので使っている脳自体が腐っているのかなぁーと思うと、なんとも言えない気持ちにもなりました。

もし、このブログの内容で興味を持った方は、是非にルーシーを見て感想を頂ければと思います。

追記:映画自体の評価は良いようです。めまぐるしくストーリーが展開するので最後まで飽きずに見れるとの評価です。

2016/1/4 月曜日

念願の朝風呂に入る

Filed under: 未分類 — wakayama @ 11:22:53

新年、あけましておめでとうございます。

今までは父親が入院中の時は、帰郷することが恒例であったものの、実家が津波に流されて以来、妻の実家にお世話になる事が多かった。

昨年、父の葬儀やら娘の結婚式も無事に終わり、今年は、一人でゆっくりと正月を過ごしたいと思っていたが、気がかりなことは、東京で正月を過ごしても朝風呂には入れないことだけは残念な気持ちでもあった。

しかし、昨年の暮れに正月に朝風呂をする銭湯を見つけ、絶対に行こうと決意をしていた為に気がかりな事もなくなり、昨年の年末から今年の正月にかけて東京でゆっくりと過ごしました。

元旦ではなかったものの2日の朝7時から入浴できるとのことで朝の日課でもある散歩をした後にワクワクしながら銭湯に行く。

しばらくぶりに朝の入浴に満足感を感じる。そこではサウナもあった為、サウナも満喫し、今年は、正月から縁起が良いと思えたが。。。。そこまでであった。

銭湯からあがり、徒歩でマンションに戻り、マンションのエレベータに乗った途端、汗がダラダラとこぼれだし一緒にエレベータに乗った住人2名の方から「どうしたんですか」と問われ、銭湯に行ってサウナに何回も入った事を話すと大いに笑われた。おそらくあの住人のことだから守衛さんも含め、マンション中に面白おかしく知れ渡ることだろうと思った。

部屋に戻ると下着までが汗でびっしょりで着替えをしたもののシャワーを浴びなければならない程に体全体が塩を吹いたような感触の為、銭湯に行った意味もなくなりましたが、再度、部屋でシャワーを浴びた。気持ちでは満足感で満たされているものの体だけは別物と痛感する。

やはり地方では、寒い点、なんともないことが東京では正月でも暖かい為に、こんな事になるものだと実感した東京での朝の銭湯の出来事でした。

追記:なんで今年の正月は、何処もこんなに暖かいのでしょうか。正月前は、あんなに寒かったのにとつくづく思いながら今年も異常気象の一年になるのかと不安な気持ちになります。

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