震災から6年
2011年3月11日の東北大震災から6回目の誕生日とお袋の命日を迎えながらも未だあの光景が今のように感じる。
今朝、震災の時の実家が津波に飲み込まれていく動画を見て、あの時、あの時間、お袋が津波の中、もがき苦しみながら息絶えたのかと思うと動画から目をそらしたくなるが、現実を直視しなければと思う気持ちになり、津波に飲まれる瞬間を何度も繰り返し、見続けた。
目は臆病、されど手は鬼と言う昔ながらの言い伝えがあるように震災後の被災者の復興への言動をテレビで見ると自分自身の情けなさを感じてしまう。
先日、糸魚川市で岩手県、陸前高田市出身の方と思われる遺書と白骨化した遺骨が見つかったとニュースとその遺書内容を聞き、複雑な心境であった。
遺書の内容は、自分以外の家族全員が津波に飲まれ、生きる気力を失くした内容のものであった。
もう少し、その詳細を知りたいとインターネットで調べていく度ごとにその内容に中傷する方、批評する方など様々な意見を見て、何でそこまでするのかと愕然としてしまい、途中から見る事をあきらめました。
顔が見えないから無責任な中傷、批評する方や被災者へのいじめなどをするニュースを聞く度ごとに世も末のように感じてしまいます。
弱者にやさしい、思いやりのある国になって欲しいものだとつくづく思います。
ただ、救いは、糸魚川市では、無縁仏として埋葬するようですが、こんな時だからこそ身元確認ができるようにマスメディアの方々も協力をして頂き、西田敏行さん主演の「星守る犬」の映画のように何で糸魚川市まで行ったのかなど、亡くなられた方の経緯や思いなどをくみ上げ、埋葬した方が良いのではないかと感じます。