2014/8/15 金曜日

おもいやりが必要と思う

Filed under: 未分類 — wakayama @ 3:42:49

なぜ、不祥事が起きれば、マスコミでもとことん追い込みすぎる傾向が特に強いのだろうか。インターネットでの情報収集もできるのでますます追い込む内容が陰湿、いじめのようにも思える事がある。

追及しても、追い込みすぎても回避できる、モノを考え(逃げ場所を与え)、追い込むことが思いやりとも思えるが、バランス感覚がないというか感性というものがない、引き際を考えず、そのまま突っ込みをするから、問題が大きくなってしまう。(窮鼠猫を噛む)

一部の人間が権力を持ち、報道規制、情報操作することで大衆から支持をされればなんでも可能となり、人間を殺戮しても犯罪にならない戦争に発展しかねない。間違った方向で国を憂い、保身の為、執着しすぎた事が戦争を長引かせた結果が、多くの犠牲者を生んでしまった第二次世界大戦のように思います。(この件に関しては、アメリカの権力者も同罪だと判断します。)

今の時代、腐敗した官僚が悪いと一部の指導者のみを犯罪者扱いで罰則するが、それ自体は、トカゲの尻尾切り、そこまでに至った経緯からの組織的な根本改善がないままなので、また同様の問題が発生するブーメラン現象となってしまい、自分に反ってくる。

昨日、神風特攻隊の物語を見て、なんて無謀な事を命令するんだと今更ながら憤りを感じましたが、その当時の状況から見て、そこまで追い込まれた結果としての判断によるものと思いますが。。。。。今だからそう思えるとしか言いようがない。

一部の上官からの命令だからとそれが間違っていると思っても絶対服従だからと部下から部下へ伝令、命令した上官は、その責任のすべてを取ることが自決と思い込んでいるが。。。。その為に多くの方々の家族や人生を犠牲にしてしまう。

そのような事が普通のように国民が受け入れられる時代風潮。そんな時代風潮の中で多くの純粋な若い方が国を思い、散っていたことを思えば、誰が悪いではなく、国自体、組織全体とその時代の報道規制、情報操作がそのような背景を作ってしまったように思える。

上記内容から今、問題として取り上げている集団的自衛権に関する点では、報道する側での責任も大きいと感じる。この件に関しては、、そこに至るまでの監視機能がなければ、同様の問題が起き得ると思います。

もう少し、日米安保条約の範囲自体からの偏った判断、顔色伺いに終始せず、今までの日本が歩んできた経緯からの判断と今までの同盟国としてのアメリカの経緯からの判断も必要と感じます。間違っている、正しいと今の時点で結論づけることはできないように思います。

でも今の状態では、どちらも情報が氾濫し、振り回され、監視機能どころか、情報自体を屈折しているように見受けられますが、判断できるトップが役不足、不在、如何でしょうか。

それを見据えた上での報道番組として取り上げるべきですが、興味津々の話題性のみを追及した今のあり方では限界が。。。。、

報道をする側としては、 視聴率を主眼とするくだらない娯楽番組が多い点で視聴者自身、表面のみを鵜呑み、後先も考えず、利己的な、自分さえよければと、その場しのぎの行動をする人が多くなった為により、犯罪が多いと感じます。

もう少し、相手の立場を考え、人とを思いやる気持ちが大事ではと思います。

真の心ある思いやりこそがおもてなしの原点であり、今の時代にとって一番に必要なことだと感じます。

2014/8/13 水曜日

終戦記念日が近ずくにつれ

Filed under: 未分類 — wakayama @ 6:21:13

一昨日、朝早く目が覚めたのでテレビをつけたら硫黄島における星条旗を立てた兵士の生涯をまねいた映画が放映されていました。

国は、彼らを英雄扱いし、国債を買って頂く為のPRに利用したり、事実を言えず、遺族の方々との面会時の話しでも制約を受け、美化された話しに振り回され、最後には、人生を翻弄された人、自分自身を取り戻す為に放浪する人、沈黙を守る人、それぞれの人生を歩む結果となってしまう、実に考えさせられる内容であった。

アメリカは、総力戦で当初は、5日で硫黄島を制圧できると思って上陸したのであったがとの話しのくだりから始まるのであるが。。。。その時の日本兵はどんな気持ちでアメリカ兵の上陸を迎え撃ったのだろうかと思うとすぐにでも調べたいという衝動にかきたてられました。

以前から硫黄島の玉砕という、いたたまれない戦争の悲劇の1ページとの思いがあり、上辺だけでそれ以上に知ろうとも思っていませんでした。

アメリカ兵、約7万人、対する日本兵は、約2万1千人、そのうちアメリカ兵3万人、日本兵2万人もの戦死をした硫黄島の戦い。

栗山中将の一方的な考えのみで多くの日本兵を玉砕させたと信じ込んでいましたが、調べることでとんでもない逆の真意があったことに気づきました。それは、無駄死にしないよう生きるという執着心を待って、命を無駄にせず、本土を守る為、最後の最後まで敵兵を一人でも多く討つ気持ちを持つよう言い伝えていた事でした。しかし、中には命令に従わず、死は、美徳と思い、玉砕した方もいたそうです。

硫黄島での戦い自体の目的は、アメリカにとってもこの戦争の惨さを知り、戦争を終わらせるきっかけになればとの思いがあった為に硫黄島決戦の前に、日本本土へ、これ以上の犠牲を出させず、硫黄島が陥落した場合、早期の戦争終結、降伏をするようお願いとして伝えていたことが分かりました。

硫黄島における殆どの日本兵は死ぬことへの恐怖心はなく、ただひたすら国を守ることへの思いが強かったことが団結心となり、防空壕や地下トンネルを掘る際、手やヘルメットのみで早期完成に漕ぎ付けたそうです。今でもまだ無傷の地下トンネルもあるそうです。

アメリカでは今でも国を挙げて、戦没者の慰霊祭を執り行っているそうですが、日本は、多くの方が無関心でいるのが現状です。まだ2000体以上の遺骨が収拾されていないのが現状なそうです。

今、私達は、多くの戦争犠牲者の御魂のお陰で平和という国が築かれていることを私を含め、再認識すべきことですが普段の行動、言動を思えば、反省することが多いように感じます。

あさって8月15日の終戦記念日でも今の日本のあり方をじっくり考えてもいい日ではないかと思います。

ちなみに8月16日には、テレビで『硫黄島からの手紙』も放映するそうです。

2014/8/11 月曜日

いい加減と言い過言

Filed under: 未分類 — wakayama @ 4:27:41

今、オープン系のシステムを開発をしている方で趣味から高じてその道に進む方がいる。基本を知らず言われるままにテクニックのみを過信していい加減なデータベースを作成し、うよう曲折でPCの性能を過信し過ぎ運用に耐えれないシステムを構築するケースが多い。

それでいて表現力が乏しい為、要件定義もできず、自力のみの発想(自己満足)でいい加減となってしまうシステムが今、多すぎるように思える。 要件定義自体、開発する側だけの問題ではなく、お客様側での問題も多い。

だから要件定義された内容を検証することが望まれるが、それをしないから言った言わないなどの愚弄な押し問答の世界。

社内でもシステム要件を聞く、本人は気がつかないもののいい加減と思われることがあり、言い過言(過ぎ)となってしまう。

しかし、後で言っている内容を分かってくれる人間なら良いが、自己満足に徹し、分かったつもりで聞こうともしない事が多々、ある。

今の世の中、その場しのぎが多い、世間体だけを気にして何処とも差別化もされず、それなりの期待できないモノ造りは、止めたいと思うのだが、それを見れないのも現実である。

あまりにもひど過ぎるシステムは、他の人に迷惑な事、いつもお客様が困ってしまい、導入後に呼ばれて聞くとそんな会社のシステムの詐欺的要素の多い、酷さにうんざりする。ちょっと携わった程度の人間が作るのだけはやめて欲しいと切に望む。そのお客様へ言い過言(言い過ぎ)をしましたが、フォローするつもりです。帰りに口直しにと高い焼酎を頂きました事、有難うございます。

私だけでもその道のバカと言われるぐらいの拘りも必要ではと思っています。いずれは、分かって貰えるだろうと思いつつ、いつも過言(言い過ぎ)が災いをしてしまうのがたまに傷。

真のシステムはその場しのぎではなく、どのような運用が変れど汎用性を持ったシステムを構築すべきと思い、いたためれずに早起きをしてブログを更新しました。

いずれは、運用をしてから分かって貰える、本物を見抜けるようになると期待をしています。

追伸、この頃の天候は、やたら暴風雨が激しい、やはり今の世の中のあり方への警告なのか天罰のような異常気象です。

2014/8/6 水曜日

今日は、平和記念日

Filed under: 未分類 — wakayama @ 7:59:20

1945年8月6日8時15分、広島に原爆投下された日です。本日も黙祷をしたいと思っています。

今、きな臭い出来事があちらこちらで多い。第一次世界大戦が勃発した状況に似ていると言っている方もいる。原爆投下は、戦争を終結する為の行為だったと言っているが、昔から勝者が歴史を作るというものの勝者が裁く東京裁判など今では許せないことだと思うのだが。。。

大義名分という理由をつけては、多くの人を殺すことは罪にならず、弱い女、子供だけが犠牲になっている。

マスメディア自体が世の風潮に流され事実、根拠も検証せず、鵜呑みで報道をする姿勢にも疑問を感じる。

昨日も朝日新聞の吉田証言による慰安婦問題の件で今さらながらお詫び報道をしている実態に報道の自由のみを強調するが、報道する側の責任、活字の重さを感じて欲しいと思います。

私自身、何もできないが、平和記念日という今日という日を黙祷をしながら再認識したいと思います。

人類、みな兄弟というCMがあったように、皆がそう思えば戦争もなくなるのではと単純に思います。

2014/8/5 火曜日

新年度の運用状況について

Filed under: 未分類 — wakayama @ 11:13:39

先週、運用管理者として初めての新年度運用を迎えたお客様の運用状況確認に訪問する。

前担当者より引継ぎ時に新年度は、教員の授業変更や未履修受講の運用などの点で問い合わせが慌しい旨の話しを頂いていたわりには、なんら問い合わせもなく、極めてのどかな運用に終始しましたとの内容の話しであった。

あえて運用問題として挙げるならば教員がモバイルタイプのICカードリーダで出欠席を取る時間帯の間違いで時限が取れなかったくらいですとの内容であった為にそれらの対応方法として教室時限別出席簿からの説明をする。

上記のお客様以外でも新機能を導入し、運用されている他大学様の運用状況を確認しましたが、以前と比べられない、比較にならないくらいに問い合わせなど皆無であったとの内容の話しを頂きました。

お客様より上記のお話を頂く度ごとに導入した甲斐があったと感じることと、感謝の気持ちで一杯になります。

開発当初は、お客様の運用に対しての問題だと決めつけていた分、開発範囲も限定しがちでしたが、ある時点を境にこの機能も必要とばかりに拡張し、最後には、望んでいた機能以上の内容になってしまい開発者からは、ブーイングだけならまだ良いほうで、リタイヤする開発者もいました。

私自身の拘りが災いしたようにも思えます。HPでいくら説明しても分かって貰える部分はごく一部にすぎません。

しかし、今までに数多くのお客様の運用実態を知れば、知るほどに運用に関する弊害の多さでシステムと合わず、苦労されていることが今のお客様の実態です。

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