見ることと話すことの違い
十手先を読むことが大事だと良く言われますが、見ることと人に話すことは、違うということを日々、痛感します。
それを話すことにより周囲からあの人、何を話しているんだろうと奇人、変人扱いされることが日常茶飯事の私の毎日です。
以前にも一緒に仕事をしたある方が、私の言っている内容をその場では何を言っているのだろうと考え、2〜3日後ぐらいに
ようやく言っていた意味の解釈ができるので同居人へ一緒に仕事をしていて大変ですね、理解できますかと面白、可笑しく聞いていたことがあった。
私自身、確かに回りくどい言い方は嫌で、猪突問診の言い方をする傾向があることは認めざるを得ないことは確かにあると実感する。
しかし、そんなに飛んでいる言い方なのかなぁーと思うが。。。。
自分の考えの途中の経緯の説明なしで結論を言うことが、そういう捉え方をされるのかなぁーと感じながら私の作った会社のホームページ中の随所にあることに今朝、気づいた。
見た方も何だろうと不思議に思ったはずだと感じるが、作りながらも結論を急ぎ過ぎる傾向が、このような内容になってしまう。
弁解するつもりではないのですが、そのような事を念頭において作者の気持ちに立って見て頂ければ助かります。
そうなんだろう、これでは理解するにも大変だったんだろうと思い、修正をしながらも新機能を開発をしていた頃の周囲の方々も大変だったんだろうと反省をしていた。
十手先を見る事はいい事ではあるが、周囲の方々に話すには、プロセスを追って話しをすることが重要なことだと思った今朝の気持ちと反省でした。