いまだ木鶏たりえず
先週、お客様へ新機能のバージョンアップした内容を説明をする。ここのお客様は、新機能を作成するきっかけを作ってくれた方々で2年前より構想をねり、約6ヶ月の歳月を掛けて設計概要を作成後、試行錯誤を続け、作成をしたものの現場の実運用をパターン化した為に足りない点もあり、さらに機能拡張をしたお陰でお客様での評価は良好であった。
お客様よりシステムの導入督促もされず、導入前に入金も頂いた時は、納得したモノをお願いしますと言われた。
今、思うとあらゆる運用パターンを想定すること自体が不可能に近い点があるとつくづく感じるが、そこが私自身の要領の悪さが災いをしたように思う。
ホームページの作成も同様にクドイ、他の方々は、クドイと言えずに褒め言葉で「熱い気持ちが感じられる」と言われるが。。。。。でも、納得するまで妥協しない性格が部分、部分で見受けられる点、やっぱりクドイと感じる。
他の業者では、そこまでの開発をすること自体、許されない点でどこかの時点で割り切る。
でも、何度も、何度も挑戦したお陰でようやく納得したシステムができたように感じる。
当初、「いまだ木鶏たりえず」と完成までの期間、言い続けていたことを思い出す。
常に追い求め続ける執念に近い希望があるからこそ達成した時の歓喜を味わえることができる。(スティーブン・ジョブ)
ある焼酎のコマシャールでビリーバンバンが歌っている詩の中で「愛は祈りのようだね」をなんとなく思い出す。