ご飯つぶの思い出
東京に来てから単身生活の毎日ですが、常に思うことは炊飯器を洗う都度にご飯つぶがこびり付いていることが気になり一粒ずつ手で取ってはもったいないと思いながらその度ごとにテレビで見た北朝鮮の映像を思い出しながら口にする。
この一粒があったら助かる人もいるはずと思いつつニュースを見れば3人が餓死した記事内容に目がいく。
生活保護申請をする方々が年々増える中、街中を見れば贅沢極まりない、飽食時代のような感じを受ける光景が所々で見受けられる。
貧富の格差が生じている世の中を見れば見るほど昭和の時代を懐かしく思い出す。
あの頃は、おやつなどなく、おかずは常にしょっぱい塩辛か、鮭でその為にご飯が多く進む。ご飯つぶを残すと叱られた。
皆、貧しかったと思う気持ちの前に食べること遊ぶこと何でも日々、無我夢中だったように思う、毎日が目まぐるしく変化することが多く、いろいろな面で好奇心旺盛で覚えることに飽きることがなく一生懸命だった。
学校に行けば先生に顔が腫れるほどに殴られ、親にも殴られの日々でも夢があったから楽しかった思い出が多い。
その時代と今を比べればモノへの価値観の相違ではないかと思える。形あるモノだけへのあくなき要求への拘りが今の時代、結果主義の欧米化が生んだ時代背景が貧富の差を生んだように思える。
夢、希望を持てない心の貧しさが世知辛い世の中にしたように感じる。
今からでも、心豊かにする上でも今朝の朝食を食べることへの幸せな気持を持ち、ご飯つぶ一つひとつを大事に感謝して食べたいと思います。