2015/7/24 金曜日

おごりとリスク

Filed under: 未分類 — wakayama @ 6:51:41

アップルが株価急落、4兆円吹き飛び、山田電機が起きうるべくして起きた失敗などインターネットの記事を見ると感じることは、やはり、おごりというモノが生じたのだろうかと思う。

企業自体は延々ではない、人も同じ、人生、平均点と言った言葉を思い出す。悪いことばかりではない、良いことも悪いこともあってそれらをプールすれば平均点だという言葉が重く感じる。

あのジョブ氏が亡くなって目立ったカリスマ性のある人財が。。。。リスクのみを考え、そのままの路線を継承をしているが、業界自体にアップル以外はと、かなり縛りを設けたことが災いをもたらせたような気がする。

また、今の勢いだけで店舗展開をし、他社を封じ込めようとした点が災いをしたのかは、分からない。

田舎では、商店街から大型ショッピングにお客が流れ、閑古鳥が、それから便利だからと24時間営業のコンビニへ、時代の流れも様変わりしている。 常にその時々で消費者の心理が変わってしまう。

だからと言って静観しているだけやリスクのみだけを考えても何もおきない。

やはり、青魚の心境こそが重要ではないか感じる。いろんなモノにチャレンジする行動、動いていないと死んでしまう、だから動き続けなければ何も変わらない。

そんな気持ちに拍車がかかり、今、寝ているんだといびき中の可愛い相棒の今日が誕生日、ウナギでも、おごりと思い、財布の中身を見てリスクを感じる朝の気持ちです。

追記:昨日、相棒は、明日は丑の日、ウナギは、中国産ではなくやっぱり国産ですねぇーと相槌を求めた。それに育ちざかり(一部がはちきれんばかりのボタン、可愛そうになってしまうボタンが)、だから食欲旺盛です。

2015/7/21 火曜日

昨日は、今年はじめてのセミの声を聞く

Filed under: 未分類 — wakayama @ 14:51:27

昨日、日課でもある朝のウォーキング中、ミィーン、ミィーンと心地よいセミの声を聞き、夏が到来した事を感じる。もう少し経てば、ジィー、ジィーと暑さが倍増するようなアブラゼミの鳴き声も聞くことになる。

田舎ではセミの声を聞くとなれば山に行かなければ聞けないが、都会では街中でも公園や木があれば聞くことができる。以前は、セミの声がと不思議な感じでいたが、今となれば自然に聞き流すようになった事と私の住んでいるマンションでは、階段やベランダに朝、お腹を上にして身動き取れずに足だけをバタバタと動かしている光景を何度も見受ける。

おそらく私のように山では生活も苦しく、町に出稼ぎでもしているのかと思えば妙に親近感を感じてしまい、 その度ごとに態勢を立て直して上げると一瞬に飛び去ってしまう。

アブラゼミなどは田舎にいた時は聞くことがなかった。確か昔は、生息地としては九州から四国あたりの南地区と聞いていたが 、今、調べてみれば全国津々浦々に分布し、生息しているようだ。

人間も地域格差などにめげず、昆虫のように時代の流れの変化に尊び、全国津々浦々でたくましく生きて行きたいと思う、今日の私の気持ちでした。

2015/7/18 土曜日

上善、水の如し

Filed under: 未分類 — wakayama @ 18:37:08

今までにあらゆる業種のシステムを受託開発し、程々のお客様からの評価、成果を上げてきたつもりです。

そんな中で何処もデータが発生する発生源からの管理を徹底することがシステムの共通した課題でした。

定型、非定型に限らず、発生源から情報を把握することですべての流れがせき止めることなく、濁ることなく、まさしく上善、水の如しの流れこそがもっとも大事な点だと実感をしています。

文教関係のシステムを見れば、見栄えや処理自体に拘っていて運用の流れ自体の根本的な面を考慮しない点があるように見受けられます。

違う業種の人間に発生源での対応などの説明をすると、そんな事、普通じゃないですかと言われます。 普通な事が業種が違えば普通ではない、そんな事が暫し、あります。

データベースの正規化もされていないケースが多いです。弊社も同様でした。教務事務システムを例に挙げれば、メインとなる科目分類、科目マスター、年度で変化するカリキュラムと言いつつも、運用自体を分かればコード体系自体を汎用的に作れるものだと思っています。

元々、私自身も含め、サラリーマンの頃、文教担当=左遷だと思ったこともありましたし、値引きが多く、分かってくれる人が少ないよとも言われていました。

でも、今は、自分自身が関わって気づいた事は、今までの文教を担当してきた方々の質が悪い、いい加減なやり方が横行していたような気がします。但し、運用ルールを確立することが難しい点はあります。

がんじがらめで作るのではなく、遊びを持たせ、シンプルをもっとうに良い商品を提供する事により、分かってくれることを実感しています。

遊び=数多くのシステムを知り、修羅場をくぐり抜けた経験値とその応用力ではないかと思います。

やはり、何処も同じ、人の話を鵜呑みせず、自分の目でしっかりと見て、判断することが重要と感じています。

モノ作りの拘りを持ってお客様の実運用を見る、木を見て、森も見る、バランス感覚を忘れずに、自分なりの経験を活かし、今後も取り組もうと思う、青魚の心境でした。

2015/7/17 金曜日

私は、所詮、青魚

Filed under: 未分類 — wakayama @ 8:32:01

常に動いていないと死んでしまう青魚、一定のところに落ち着くことなく動いていなければならない。

黙っていると酸化しそうな感じでどうも馴染まない。イワシ、アジ、サンマ、サバ、カツオ、マグロ、どの部類かと考える。焼き魚、刺身にしても。。。。、どのような食べ方をしてもおいしいものだ。

しかし、それは魚の事で人から青魚のようなと言われてから今までそんなに深く考えたことがなかったもののこの頃になって年のせいか、疲れも出てきたせいなのか重荷になってきている。

今朝もウォーキング しながら自分の歩いている姿を見て、やっぱり青魚なんだと感じた。

日頃から何かをしなければいけないと思うと自然と体が動いてしまう。

いろんなところへ行き、いろんな事を知り、その都度、ぶつかり、傷つき、得る事もあり、お蔭で良いモノを作り出すことができると自負しています。

そんな繰り返しですが、自分の目、肌で実感できるから素晴らしいと自己満足、性分というか、仕方がないものと。。。。私は、所詮、青魚と あきらめています。

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