2016/4/20 水曜日

平和ボケ

Filed under: 未分類 — wakayama @ 11:09:49

震災地域の方々の日々の生活も大変な状況の中、ネットによる支援内容の記事などを見ているが、誹謗中傷のメールや事務所荒らし、盗みの記事を見る度に切ない気持ちになってしまう。ましてや政治家とあろう方の発言、痴話の記事、いつからなんだろう、こんな平和ボケした人達が多くなった今の世の中。

震災に合った方々の今の心境を汲んだつもりで発言するよりも、今は、震災者の方々をそっと静かに見舞ってほしいものだと感じる。

私自身も、その震災での出来事を受け入れまでの2〜3日ぐらいは、ぽっかりと穴が空いた状態であった。でも私自身、以前にブログへ書きましたが、家がまったくといっていい程に更地となって点、少しは、気持ちが楽だったかもしれません。

今は、いつ起きるかもしれない震災を心配するよりも今日も、朝ごはんを食べるという普通の事がちょっとした幸せだなぁーと感じるようになりました。

常に普通の事を普通のまま繰り返す幸せが、あの時に気がつけばと後悔しても戻らない事は事実、いつのまにか普通の暮らしが当然だと思う平和ボケだけはなりたくないものだと思います。

2016/4/18 月曜日

熊本の震災について

Filed under: 未分類 — wakayama @ 9:23:00

東北大震災の時よりも震災発生時の余震から本震へ、地震規模、回数が増すごとに震災被害も多く発生している。

14日午後9時26分ごろに発生した震度7強の地震と同様の経験はしているものの津波が発生しなかった点で少しは安心と思ったが、15日以降の余震から本震に変わった16日の朝の報道を見て被害規模がますます拡大している状況に東北大震災の時と同様の報道における被害だと感じる。

それは、東北大震災時の津波注意報発令後に津波の高さは3メートル強と気象庁が発表したことでその地域の方々は、安心し、家路に引き返した多くの方々が
津波の犠牲に合われたことが熊本の震災の共通点ではないかと感じる。熊本の震災の犠牲者の殆どの方々が住居に埋もれる圧死だったと報道をしている。

おそらく家に戻り、前日の地震で夜を寝れずに一夜を過ごし、疲労困憊で15日の夜早々に寝室で寝ていた方々が被害に合われたように思う。

15日の報道では、余震は続くとは言っていたが、なぜ、本震に変わったのかが、いつものように後出しじゃんけんのように想定外で済ませるのだろうかと思う。

震災で失うモノはとてつもなく大きい、しかし、失うモノだけではない、それは自然の脅威に対していかに人間は、予測をすること自体ができない無力なモノだという事実から報道だけでの判断を鵜呑みにしてはいけないという事を得ることができました。

気仙沼の漁師の言い伝えで「目は、臆病、手は鬼」とあります。それは、目の前の悲惨な状況を見れば現実を受け入れることができず、ただただ立ちすくむだけだが手だけでは、その状況を何とかしようと黙々と動くことから、その言い伝えがあるそうです。

今は、震災に合われ現実を受け入れることができないとは思います。

いずれ時間の経過と共に目の前の瓦礫を何とかしなければと思う気持ちで少しずつでも動き出して欲しいと思います。

2016/4/12 火曜日

歴史認識がおぼろ

Filed under: 未分類 — wakayama @ 8:47:52

NHKの大河ドラマの真田丸の中で演じている直江兼次と以前に放映した天地人の直江兼次のイメージの違いにギャップを感じる。

謙信公の義を重んじ、すべては義を優先に物事を進めた景勝、兼次のイメージがことごとく崩壊してしまう恐れを感じ、自分自身の歴史認識を検証すべく再度、調査をしてみました。

兼次の生い立ちから直江家に婿養子になった経緯などを調べる中で兼次が謙信を毒殺した記述を見て愕然としました。

もともと景勝自身、目立たない存在であった事は事実、謙信自身も後継者と景勝をいつ認めたのかが私自身も不思議であり、疑問であった。

その記述の中でなぜ、燃料係担当の兼次が上杉の重臣である直江家に婿養子になれたのか、それは、幼少の頃から景勝と兼次のいい仲に理由があった。

良い仲、信長の蘭丸の関係、この頃から兼次が景勝を思いのままコントロールすることができた為、すべて兼次が仕組んだストーリーのまま操られた景勝が
直江家に婿養子として兼次を勧め、さらに毒殺→脳梗塞後、謙信の死に際には兼次と妻の二人しかいなかった点で謙信が枕元で跡目は景勝とうなずいたと言うストーリーが出来上がったと書いてあった。ここで脳梗塞のなった原因の毒が何だろうと疑問が生まれる。

それにしても歴史は勝者が作り上げるものだと感じながらも歴史認識がおぼろとなってしまうことと昨晩、ある方から言われた事を思い出しながら自分自身の人生観の軽薄さを感じてしまう。

それは、相手に良かれと思う事を率先し、対応しても受け取る方が義を感じるか、感じないかは、その人次第、今の世の中、義を感じ、義に尽くす人が少なくなっている点で率先して行動を起こすより、困ったと言われてから行動した方が、より、ありがたみを感じてもらえると思いますと言われたことが脳裏に焼き付いている。

今の時代、相手を思いやり、義を尽くすなど青臭い考えなのか、シーラカンスみたいな化石のような私の考え方自体が通用しない世知辛い世の中になったものだとつくづく感じます。

2016/4/4 月曜日

以前より危惧していた事

Filed under: 未分類 — wakayama @ 10:46:58

今朝のMSNのIT業界におけるエンジニアの問題記事を見て以前より私自身がブログでも何度となく言っていた事が載っていた。
この問題となる発端は、開発要員を派遣させるビジネスの延長路線で受託をする事が問題の起因となっている。

作るという拘りがないまま言われるままに理解せず、鵜呑みのまま自らの検証もせず派遣のままの思考回路で仕事をするから問題が起きる。

言われた事を考えることなく鵜呑みしたままの開発で時間単価による派遣ビジネスは、リスクもなく、合理的ではあるが、システムのエンジニアとしての人間は育たない事が問題だったが、お客様自体もシステム開発を依頼する上で開発会社へ上手く伝えきれない点もあり、お客様現地での都度の要望に対応をできる派遣ビジネスが多くなった点にもある。

派遣先の開発要員は、何処も名刺の肩書は、SEとかアシスタントSEなどと書いてある。その肩書の意味を聞くと本人自体もわからないと答える有様。

派遣ビジネスは人が育たないと考え、受託ビジネスで人を育てなければと思って今までやってきた結論としては、開発者はプログラムと会話をするものの人との会話は不得意な人が多い、それに自分自身のプログラムに溺れもがいて周囲を見れなくなることも多々、ある。

派遣ビジネスが招いた人材の弊害と感じています。もう少し、開発者は、人と人との会話と気配りできる人財にならなければならないと思います。

また、SEとしての一番に重要な事は、開発の原点である上善、水の如しを忘れずに歩んで欲しいと思います。

今は、メーカと言えどもSEという人財がいない現状の中、肩書などに惑わされず、本来のエンジニアとしての技量を発揮する人財を見つけることが望まれます。

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