東京都知事選挙に思うこと
昨日、1ヶ月に1度の親父の病院に見舞いに盛岡へ行く。
盛岡に着いて外のバス停へ、大分、寒いと感じる。1週間前に岐阜市の市会議員が岩手山の近郊で凍傷による原因で亡くなったことを思います。
盛岡駅からバスで40分程度で病院に着き、今の容態経緯の説明を聞きながら容態は安定している旨の話を聞き、ほっと胸をなでおろす。本人の顔色も良く、しばらく病室で親父からは返事が返って来ない、いつもながらの独り言をする。
先月、寝たきりの親父の散髪をしてくれた床屋さんに行き、感謝の気持ちを伝え、そろそろ帰りの時間の為、バス停に行く途中で帰りが一緒なので同乗しませんかと言われ、その言葉に甘え、同乗することにした。
その床屋さんの方も私と同郷の方で親戚の方々が震災の被害を受けた話しを聞いた時から親近感を感じている。
いつも見舞いに行くと顔を出すようにしている。その方から東京都知事選の件で元首相二人の様子を聞かれ、私自身の気持ちを話す。
マスメディアでは、殿のご乱心とか言われている。
私自身、お二人が首相の時代は、あまり好きではなかったが、首相をしてきたプライドを捨ててまで原発ゼロを訴えていることに危機感を感じ、なりふり構わず訴えていることに裏表ない真実だと思うこととその事を分かっていながらも周囲の様子を見て行動ができない方々よりは、勇気ある行動自体に敬意を評したい。
原発の需要が東京近郊が殆どであるにも関わらず、設置した地域の方々がその影響で住み慣れた故郷に帰れず、仮説住宅に住んでいることを思えれば、東京都の原発ゼロは否定できない事実ではないかと思っていることを話す。
いまの時代だからこそ、真実をありのままに話す勇気と実行力が、いかに大事な点ではないかと感じます。