無知の知
ソクラテスが死刑の確定後に言った内容で、知に対する節度をわきまえない独断論者たちは、どこかでつまづき、知りもしないことに踊らされ、翻弄される。
しかし、死後については「知らない」が、それを自覚しているがゆえに、それについての諸説を冷静に「知る」ことができる。
死を恐れて不正な裁判に屈することなどなく、善き生を貫徹できるし、善き生を貫徹した者は、死に際しても幸福であると弟子に「無知の知」を説いたそうです。
今の世の中、知った素振りで振舞うからどこかに不安が生じて買いだめ、窃盗、放射漏れのデマなどを流し、その真実を見極めずに踊らされ翻弄しているように見受けられます。
悪・苦痛は先入観と偏見の束縛された考え方から生じるそうです。
知らないを自覚することにより、先入観や偏見からの開放がされ、自らが知る為に情報を冷静且つ、客観的に受け止め、その内容の根拠を見極める上であらゆる方々と対話することで徳=知識(知恵)を積む、得るそうです。(孫子の兵法の知略戦と同様ですね)
前日、テレビ番組で政治家が被災地にも行かずにジャンバーを着ていることや一国の総理が現地に行くと言っては、後で取り止めをするなどのパフォーマンスのみでの風潮に国民が踊らされることなく「無知の知」を極めることが私自身、含め、重要な点ではないかと思えます。
今、マスメディアの情報のみに翻弄され、不安を抱えている方々や被災地の方々にもっとも必要なことは、明日のことは誰もが予測であり、知らないことを自覚するからからこそ一日一日を共に懸命に助け合い、共存しながら生きて行くことの方が有意義であり、「無知の知」の心境だからこそ行動自体が「善き生き」を生むそうです。(一日、一善と昔、言っていたことを思い出す。)
雨が降っているから放射能を浴びるので外に出る時は、雨に濡れないように傘をさしてくださいと報道するテレビを見ながらベランダを見たら、雨で濡れているすずめがベランダのところで休んでこっちを伺い、笑っているように見える。
人間以外の動物は、生きる為に自然の摂理に敏感に反応すると良く聞く。
今回の津波の時もカラスが一斉にいなくなったとも聞いた。偏った変な情報を聞いて翻弄する人間よりもその日、その日を懸命に生きる為の動物的カンを働かせた方がよっぽどマシではないかと、ふと思えた今朝の気持ちでした。