ヒューマンコミニュケーションの難しさ
日々、思うことは、自分の思っていることを相手に伝えきるという難しさである。伝えたつもりでいるものの正確に伝えきっていないことが多い。
日々、便利だと思い、利用しているメールなども後で文書内容を見ると冷たい感じに受け取ることがある。その為、社内では、メールをした相手に電話をするよう指示をしている。メール内容の意図を和らげることも必要と感じます。
一方的な内容になりがちな点を電話をすることで誤解されないよう理解をして頂くことが重要と思います。フェースブックやLINEなどを提供する側での配慮も必要と感じます。便利だからと利用し、いろいろな犯罪へ起因する原因を作っているように思われます。
社内でも伝えたと思っていたこと、だろうと思い込み、ふたを開けたら伝えきれないことがあったと反省すること多し。
伝える為に行くことなく、顔を合わせることなく伝えることができるが、その分、伝えた相手に分かってもらっているのかを確認する必要性がある点で便利な事自体が不便さを生んでいるように思います。
昔、「ほうれんそう」、報告、連絡、相談が基本と良く言われましたが、今、もっとも重要なことは、「ほうれんそう」後の「か」、確認、それは、顔と顔合わせによるヒューマンコミニュケーションという原始的でもあるが それが、一番ではないかと思いますが、それが面倒と思う方や苦手と思う方々が多いのも現実です。
また、思っていることを話せない、議論を避けたいと思うばかりで遠まわしでメールで伝える、分かってもらえないとストレスが溜まる。それが負のスパイラルとなり、自殺、いじめに発展するのではないかと感じます。
社内でも議論することが少なくなっていることと叱ることのできない人が多い、昔は、飲みニュケーションをし、お互いの思っていることをぶつけることもしばしばあったものだが、今は、それを強制することができない時代だからこそやっかいな時代になってしまったものだと感じます。
いまだからこそ、その時々で叱ること、間違いを反省し、誤る事、人を好きになる事、素直な気持ちを伝える、腹を割って接することができる、私は、そんな人間になりたい(ドコモのCMのセリフと同様)
というより、元々純粋無垢と言えば聞こえがいいが、ちなみに単純無垢、瞬間湯沸かし器とも言われています。表現は正しくありませんが昔から無為自然とか正直は最善の策と言われるようにそんな人間も今の時代だからこそ潤滑油の為、必要ではないかと自分勝手に思い込んでいる今の私の気持ちです。