先週、気仙沼へ行く
本日、震災より丁度、一年6ヶ月経過した。昨日、NHKの番組で気仙沼の今の状況を実況中継をしていたが、未だ行方不明の方々がいる状況の中で親族の方々の気持ちとしては、いまでもひょこり帰ってくるのではと思い、気持ちの整理がつかず、震災の時のままで時間が止まっていると話しをしていた。
先週、気仙沼に行き、その内容がわかる気がする。震災の影響がなかった周囲の方々は、復興、復興とせき立てるばかりで現地では、何も進んでいないことすらわからないのが現状ではないかと感じた。
東京に帰える新幹線がすべて満車、なぜだろうと不思議に思う。後で聞いた話しによると陸前高田の震災の被害を受けた一本松が今週には、伐採されるとのことで、その一本松を見学に来ている方が多かった為とのことだった。
それを見たさに地元の方々に迷惑をかけたのではと感じる。マスメディアの力は大きいとつくづく感じながらも日頃の報道を見ると視聴率を上げる為なら何でもする無責任な言動に流される方々も多いことを実感する。
本日のニュースも維新の会、解散総選挙後の体制、自民党の石原が平成の明智光秀などと論じていたが、歴史の真似事みたいな内容や戦国時代の武将をさも、わかったような軽い風潮だけは、やめて欲しいものだと思う。
いじめの問題でも教育委員会が悪いとか、学校が悪いなどを言っているが、本来であれば、いじめの問題についても誰がいじめにあっているのかを子供から聞いているはず、その周囲の保護者が率先し、行動をすることで未然に防げるものではないかと思う。
昔、昔の昭和時代では、親でもない近所の大人や友達の親からも叱られることは、珍しくなかったものだ。
避けてばかりではなく、評論家のように他人ごとみたいな感性ではなく、何でも自分の目で見て、自分の思った感性で真正面から取り組む、語る姿勢こそが今の時代に取って必要な人財と感じる。
そんな人に私はなりたいと思う。なんとなくどこかで聞いたようなセリフのようです。