2013/3/15 金曜日

あれから2年経過した震災地の現状

Filed under: 未分類 — wakayama @ 10:06:47

3.11の合同慰霊祭と母親の3回忌法要の為、車で八戸から国道45号線を南下しながら今の震災地の状況を見ながら思ったことは、瓦礫の山はなかったものの震災後のままの更地が多かった。

野田村では、海鮮ラーメンがおいしかったなぎさ食堂なのか分からないが野田村駅近くの別場所に看板があったような気がするが朝の早い時間の為、確認ができなかった。

普代〜田野畑を通過するが、まだまだ更地が目立つ、被害が多かった田老町などは、町全体がすっぽり無く信号機だけが目立っていた。

地元に住んでいる方などは、今、どのような心境でいるのだろうか、復興への手ごたえを感じているのだろうかと思ってしまう程に進んでいない状況を垣間見る。

あれこれ考えながら宮古に朝の8時に着き、10時からの3回忌の法要の前に墓前に必要な花を買い、家族で墓参りを済ませ、更地となった実家の跡地へ行き、近くの防波堤の高さを見ながら黒い波が飲み込む瞬間の映像を思い出す。

そろそろと3回忌法要の時間の為、お寺へ行く、3回忌法要の為、南は九州から北は北海道から駆けつけてくれた和尚さんの数が多く、ありがたいと思う、感謝の気持ちで一杯でした。

その和尚さんの講話の中で印象に残った内容として「衆縁和合」を紹介します。

縁起が良い、悪い、苦労するのも縁から生まれるとの事、縁起を担ぐという言葉自体を良く使うことがありますが、仏教からきていた言葉だとはわかりませんでした。

ようやく3回忌の法要が終わり、なんとなく心の整理ができたような気がします。

まだまだ震災地の状況は、2年前と変わらず、復興とは何処までが復興と言えるのかが疑問ですが、確かに言えることとしては、震災地における雇用の場の確保こそが明日への希望を持つ上で必要不可欠な内容だと思います。

その為には、その地域における基盤となる産業の発展こそがもっとも重要です。震災地の産業発展の為にも優先的にご愛顧くださるようよろしくお願い申し上げます。

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