2011/4/9 土曜日

三陸の景観

Filed under: 未分類 — wakayama @ 8:13:31

しばらくご無沙汰しました。実は、3月21以降に高速道路も復仇し、深夜バスが運行されたの情報を聞き、一路、八戸に戻って家族と一緒に45号線を南下しながら実家である岩手県宮古市に帰郷してきました。

八戸より45号線を南下し、岩手県野田村の駅を通過後、目にした光景は、小高い所を除き、堤防が決壊し、鉄橋は曲がり、町全体が津波に打ち砕かれた瓦礫の惨劇で、声も出ず、ただただ涙が出てくるばかりでした。それからというものの小本、田老など同様の光景を見ながら田老の叔母の安否確認をし、叔母の元気な姿を見て安心し、実家の宮古にたどり着き、更地と化した光景を目にして流されたんだなぁーとこれから現実を受け入れる為の心の整理ができしました。

母の安置されている所へ行き、遺体の確認をしましたが、眠っているような穏やかな表情に少しは安堵しました。

遺品は、小銭入れだけでしたが、その中に1,068円と電話のメモがあり、そのメモを見て警察の方が私に電話をしたとのことでした。

遺体を見た瞬間に、「おばちゃんだ」とすぐわかったと警察の方にお聞きしたことや、偶然にも実家の更地に献花してくれる取材記者の方にお会いしたりした事で、生前の母の交流の広さを感じ、その方々より見守られながら安置所にいたことが唯一、救われた気持ちになりました。

火葬の際、親戚など避難場所に多くいる為に迷惑を掛けず、身内だけで済ませたっかのですが、友人全員が集まって頂き、執り行いました。

その際、着の身着のままの子供だけが火葬の立会いをする光景があり、いたたまれず、友人の一人が目の前にある母に捧げるお菓子やジュースなどを何も言わず、持っていき手渡したとの事。

初めはびっくりしましたが、持っていくならば言ってから行動すれば全部持っていって欲しかったのですが。。。。でも、あいつの良いところでもあると後で感じました。

今、孤児の割合が阪神震災を上回り82人となっているとの記事を見て痛感する。また昨日の地震、被災地に取っては精神的なダメージが強すぎる。

神は乗り越えられない試練は与えないと言うが、何を試されいるのかと神を恨む心境になる。

三陸の景観は、リアス式海岸で断崖、絶壁が多いが、天然の良港に恵まれた地であると言われるように、人との接し方は苦手で唐突だが、心は、素直で温情豊かな人達が住む町。

近々では東北魂と言っているが、私としては、リアス海岸のように見た目はぎざぎざと荒々しいがその恩恵で外の荒波を防ぐことができる自然の防波堤の役割となり、湾近郊では養殖などに向く資源豊富な漁港であるがゆえにこそ、リアス式海岸に育った三陸魂(心)で津波を蹴散らし心豊かな漁場として復活をして欲しい、したいと願っています。

追伸:母の形見となった小銭すべてと今までに頂きましたお見舞い金をすべて復興の為に、寄付したいと思います。今までにお見舞金を頂いた方々には、この場を借りてご了承を頂ければ幸いに思います。

4月後半にまた宮古に行き、自分としてできる身近なことから復興への足掛かりとなればと思っています。 

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