ワールドカップを観戦
14日から午前0時に起床し、ワールドカップを観戦している。その中で前回の優勝国のスペインと準優勝のオランダ戦、結果、予測もしていなかった程の5対1の大差でオランダが初戦突破となる。この試合の中で前回、準優勝という屈辱を味わったオランダがスペインのパスをことごとく断ち切る度にスペインの選手が浮き足立ち、焦りなどを生じ、5点のうち2点は、失点と思われる内容であった。
オランダといえば、ヨハンクライフという選手がいた時代に優勝するのではと思われた頃を思い出す。
今までの2日間の中でウルグアイとスペインだけが予測されない結果に終わる。
また、ブラジルのイメージが以前と違い、選手が若いことと黒人が少ないことが印象的であった。時代は変ったと感じる。
やはりブラジルと言えば、ペレー、そのペレーがテレビに出る度に年を取らない、あの時のイメージのままが不思議だと思っている。
今日は、10時から日本×コートジボアール戦と思いながら、しばらくぶりの天気の為、炊事、洗濯をしている最中に同居人が現れ、昨晩から起きて夜鍋をしていたそうだが、午前3時頃、睡魔に襲われ、スペン×オランダ戦を見ることができなかったとこぼしていた 。
丁度、私がテレビの観戦中に何度かトイレに行った時に俺は生きていると言わんばっかりの証明をしているいつもの心地良い寝息、いびきを何度か聞いたように思えた。初めて聞く人は、びっくりする野獣の証明そのもの。
そうこうしている間に10時の試合開始の時間が来る。テレビに張付き観戦、あれノドクロ、ドロヌマ、ドロクバが出ていない、どうしてと思いながら前半戦を終了、1対0で日本が 折り返し、思わずこのまま勝つのではと淡い期待に胸が沸く。
後半戦、あのドロクバが選手交代で参戦、あの場の雰囲気が変ったようにテレビでも感じる。
参戦してから2分の間に2点の失点、それからのゲーム展開は、泥沼の状態、一人の選手だけであのような影響を与えることができること自体がすごいことだと思えた。
それにしてもゲームメーカ的存在がいない事を嘆きながらも、まだまだ世界に通用する選手がいない事を実感しました。
やはり日本でのサッカーに対しての歴史は、野球よりは、まだ浅いと痛感しました。
それでいてもマスメディアでの報道も過剰気味ではないかと感じる。オリンピックでの銅メダルを取った時の釜本、杉山時代の選手がいないことを嘆くべきかもしれない。