いつも思う事
世の中には要領の良い人(上手く話せる)、要領の悪い人(上手く話せない)で周囲からの評価内容でかなり損得の差がありすぎる。上辺だけ(言動)での判断で物事を見る傾向が多々有り過ぎるように思われ、さらに話題が常に変わる為に忘れさられるのも早い事への何か違和感を日々感じている。
情報の氾濫で正確に物事を見ようと判断をする前に入手する情報先の多さにより、その情報を知る事だけが優先され、結果は自分自身での思考・洞察することなくすべての情報を受け入れるのみが思い込みとなり、間違った評価をするように感じます。(赤信号、みんなで渡れば怖くない心境となる)
諜略の中に「人を詐して、人に詐されず」というものがあるが、マスメディアの影響が大いにあると感じる。考える事なく、情報に流される風潮。
視聴率のみを上げる為に責任のない報道とそれを利用する人間。過日、「国策による捜査」をテレビで見てうなずく。今朝もつくづく感じる。
社員が折角の努力をしていても努力した内容を報告しない為に、ちょっとした事が抜けていた点で評価されない事への憤りを感じる。(祝祭日関係なく他よりも真剣にお客様の状況を考え、対応をしている)
その為に私自身がフォローする為に言い過ぎ、行動をしなければいけない傾向にうんざりする。自分自身、要領が良い方とは思えない。人の何倍かの作業をして一人前。自分自身が言った事への責任は結果として果たす。
要領が良い=責任回避するのみだけを考えて言動(上手く話し、責任回避の為に相手に作業を押し付ける)の人間よりは、要領が悪い=上手く話せず、人よりも何倍も努力し、責任を持って行動している人間が評価されるべきであると思います。
しかしながら相手に伝えなければわからない風潮。結果は努力した事を理解して頂けない。折角の努力が無駄となる。つまり、行き着くところは損をする。
あるCMで今、映画で話題の椿三十郎の初代役の三船敏郎が「男は黙って」はあったが、昔のこと。
でも、考え方を変えれば要領の良い人間より、いろいろな数多くの経験を積める事ができる点と神が自分を成長させる為に与えた試練と思えば気持ちも楽。
日々、あせらず、腐らず、おごらず、いからず何事も前向きに捉え行動しましょうといつも思いながら常に自分へ言い聞かせる毎日です。