今日もいつも通りに朝のジョギング、以前より気になっている朝の光景、それはホームレスの方々が自転車の荷台一杯に空き缶の山を積みどことなく運んでいく姿を見受ける。
それって何かの収入源になるのか分からないが妙に気になる。気にはなるものの身なりなどを見ると聞きもせず、自分自身と住む世界が違うんで聞いても無駄と判断する傾向にある。ここの近くでもいつも緑のジャンバーを着ていて朝から飲んでいる人がいます。
ここの周辺では有名人であるが、その人の名前、年齢や住んでいるところなど誰も知らない、知ろうともしない。
ある日、ウィスキーを落としたのかビンが割れていて額の傷口から血が出ていて、ビンの割れ口から飲もうとしている様を見て、思わず「危ないですよ」とその方に注意をし、いつも飲んでいる焼酎とワンカップをセブン・イレブンより買って手渡しをした時に聞いて見ると沖縄出身で年齢は53歳、近くのアパートに住んでいることと胃の全部を切除している事を聞き、以外と若いことを知った。
それ以来、私がその方の傍を通れば笑顔を振りまくようになって知り合いとなった。
その方の満身の笑顔は、自分自身が忘れていたものを思い出すようで実に新鮮な気持ちになれる。
今日、ジャック・アタリ氏の「未来の人類から見た世界」の紹介をNHKで放映していた。
その中で秩序のないグローバルな世界であったからこそ今の危機があり、アメリカ主導の利益追求のみの時代からの脱却と秩序ある真のグローバルゼーションこそが重要である。
その秩序の中には求めるだけでなく与えることこそが評価として大きい。
生きていく為の必要最低限の食料と周囲の人々に与えるということ心の豊かさが必要である。それは歴史で検証されている事実であるとのこと。
第3章〜6章の中でアメリカ帝国の終焉〜保護主義、自給自足、戦争勃発、“超民主主義”の出現までを見れば今後の未来がわかるそうです。
それと交差するように今度は、テレビ東京での番組の中で「人間は”食べる”ために生きるのか、生きるために”食べる”のか」という人間の原点を追求することで本来の心の豊かさは何かを見出す目的でアマゾンでの秘境で暮らす人々のドキュメンタリー番組を製作したようです。
自給自足の生活をしている人々の満身の笑顔と緑のジャンバーの人の笑顔が妙に新鮮な感じで忘れがちとなっていた昭和時代の光景そのものの共通点を感じました。
食べ物は不自由したものの貧富の差など感じることなく、見栄えなど気にせず、常に生活環境を自然にさらけ出し、近所付き合いは普通で、贅沢な生活より常に空腹なので食べることに必死でした。
おかずの争奪戦で兄弟喧嘩は日常茶飯事、今の時代と違っておかずが有り余ることなく足りない、反ってご飯の方が多いので醤油や味噌汁で一工夫、残したものなら叱られる。でも、むしろ楽しかった思い出が多い時代のような気がします。
今は逆に飽食時代、正味期限、消費期限に敏感ですぐ捨てる時代、コンビニ、スーパなど24時間体制で販売見込される商品の数より多く作っては、残れば捨てる。
当然、原価に反映するが、誰でも金があれば買える。捨てる事も罪悪感なしで、ポイ捨てる。食生活も欧米化に拍車、大方の若い人達はマックの人気が多く、朝マックなどCMの影響大、きれる若者が多く、食生活の影響も大と感じる。
テレビでは常に新鮮な話題を視聴率という数字に拘り、情報の氾濫なのか、情報の不況か責任のない報道を組んでは「やらせ」で非難され、それを見ている視聴者の判断に委ねる傾向。(責任のない放映やくだらない番組が多いが、視聴者も問題)
難しいことは分からないが、今の時代は、「金がないという悲劇」と「金があるという悲劇」の2つに絞られるそうだが、すべて人間の飽くなき要求の中で弱者・勝者の二極化され殺伐した状況、勝者にとっていつかは敗者となる不安がいつもつきまとい、それが常にあせりとなり、充実する日々などない状況となっている。
いまこそ、心豊かな気持ちになる為にも見栄など捨て、自然体のままで理解して貰う勇気と物欲のみに囚われず、また、情報を受身のみで判断する偏った、せっかちな姿勢ではなく、自分自身で見聞する心豊かな余裕ある気持ちを持ちつづけることが重要と思う。
「腹、八分は医者いらず」を忘れずに常に満身の笑顔で接することのできるよう心豊かな日々を送ろうと思う今の心境です。