2009/5/6 水曜日

今日は雨

Filed under: 未分類 — wakayama @ 16:16:43

朝のジョギングを始めてから今日で24目となりました。良く続いていると自分ながら思う。

その間、雨が降っててもジョギング開始時間になれば急に雨が止んでしまう。たまには雨が降ったので今日は休みと周囲に言えない状況である。今日もいつも通りにジュギング開始時間には雨が止む。今日のコースはいつ雨が降り出すかわからないので最短コースの7.8Kにする。

昨日のブログの内容や先日,しばらくぶりに合った方の言葉「企業は人だったは昔の事」などあれこれ思いだしながら約1時間20分でジョギング終了、今日は9時からNHKで再放送される「ハゲタカ」を見て、次にテレビ東京の「ルビコンの決断」というリーマンが破綻するまでの経緯のドキュメンタリー番組を見る盛りだくさんの予定でした。

今、すべでの内容を見て思うことは、経営者、社員の双方の立場で高い報酬を獲得する上で人間の強欲が招いた悲劇としか言いようのない結末でした。

他社がそれで儲かっているから自社も手をこまねいている訳にはいかないとどんどんエスカレートし、周囲もその勢いに飲まれ、その勢いが止まり結局は破綻の結果となった。

やはり、アムステルダムの球根投資の破綻と同様で時代は常に繰り返すということですね。

物作りの原点としていかに市場に受けのみを狙うかではなく、役に立つかを考えることとそれを購入するお客様も用途に応じた商品を選択する義務があると判断します。

あちらでも、こちらでも採用をしているからと見せかけのみで振り回されず、真髄を見極めお客様へ提案することがもっとも大事ですね。

大森のSさんもお分かりと思いますが、SCLシステムも屈折3年、時間は掛かりましたがいずれお客様が分かってくれると思います。会社の使命としてではなく、Sさん自身が思っている問題提起をし、提案すれば貴社名のブランドもあるし、道は開けると思います。

やっぱ大事なことは人ですよ、間違いありません。

2009/5/5 火曜日

見栄えと中身

Filed under: 未分類 — wakayama @ 16:36:07

今日もいつも通りに朝のジョギング、以前より気になっている朝の光景、それはホームレスの方々が自転車の荷台一杯に空き缶の山を積みどことなく運んでいく姿を見受ける。

それって何かの収入源になるのか分からないが妙に気になる。気にはなるものの身なりなどを見ると聞きもせず、自分自身と住む世界が違うんで聞いても無駄と判断する傾向にある。ここの近くでもいつも緑のジャンバーを着ていて朝から飲んでいる人がいます。

ここの周辺では有名人であるが、その人の名前、年齢や住んでいるところなど誰も知らない、知ろうともしない。

ある日、ウィスキーを落としたのかビンが割れていて額の傷口から血が出ていて、ビンの割れ口から飲もうとしている様を見て、思わず「危ないですよ」とその方に注意をし、いつも飲んでいる焼酎とワンカップをセブン・イレブンより買って手渡しをした時に聞いて見ると沖縄出身で年齢は53歳、近くのアパートに住んでいることと胃の全部を切除している事を聞き、以外と若いことを知った。

それ以来、私がその方の傍を通れば笑顔を振りまくようになって知り合いとなった。

その方の満身の笑顔は、自分自身が忘れていたものを思い出すようで実に新鮮な気持ちになれる。

今日、ジャック・アタリ氏の「未来の人類から見た世界」の紹介をNHKで放映していた。

その中で秩序のないグローバルな世界であったからこそ今の危機があり、アメリカ主導の利益追求のみの時代からの脱却と秩序ある真のグローバルゼーションこそが重要である。

その秩序の中には求めるだけでなく与えることこそが評価として大きい。

生きていく為の必要最低限の食料と周囲の人々に与えるということ心の豊かさが必要である。それは歴史で検証されている事実であるとのこと。

第3章〜6章の中でアメリカ帝国の終焉〜保護主義、自給自足、戦争勃発、“超民主主義”の出現までを見れば今後の未来がわかるそうです。

それと交差するように今度は、テレビ東京での番組の中で「人間は”食べる”ために生きるのか、生きるために”食べる”のか」という人間の原点を追求することで本来の心の豊かさは何かを見出す目的でアマゾンでの秘境で暮らす人々のドキュメンタリー番組を製作したようです。

自給自足の生活をしている人々の満身の笑顔と緑のジャンバーの人の笑顔が妙に新鮮な感じで忘れがちとなっていた昭和時代の光景そのものの共通点を感じました。

食べ物は不自由したものの貧富の差など感じることなく、見栄えなど気にせず、常に生活環境を自然にさらけ出し、近所付き合いは普通で、贅沢な生活より常に空腹なので食べることに必死でした。

おかずの争奪戦で兄弟喧嘩は日常茶飯事、今の時代と違っておかずが有り余ることなく足りない、反ってご飯の方が多いので醤油や味噌汁で一工夫、残したものなら叱られる。でも、むしろ楽しかった思い出が多い時代のような気がします。

今は逆に飽食時代、正味期限、消費期限に敏感ですぐ捨てる時代、コンビニ、スーパなど24時間体制で販売見込される商品の数より多く作っては、残れば捨てる。

当然、原価に反映するが、誰でも金があれば買える。捨てる事も罪悪感なしで、ポイ捨てる。食生活も欧米化に拍車、大方の若い人達はマックの人気が多く、朝マックなどCMの影響大、きれる若者が多く、食生活の影響も大と感じる。

テレビでは常に新鮮な話題を視聴率という数字に拘り、情報の氾濫なのか、情報の不況か責任のない報道を組んでは「やらせ」で非難され、それを見ている視聴者の判断に委ねる傾向。(責任のない放映やくだらない番組が多いが、視聴者も問題)

難しいことは分からないが、今の時代は、「金がないという悲劇」と「金があるという悲劇」の2つに絞られるそうだが、すべて人間の飽くなき要求の中で弱者・勝者の二極化され殺伐した状況、勝者にとっていつかは敗者となる不安がいつもつきまとい、それが常にあせりとなり、充実する日々などない状況となっている。 

いまこそ、心豊かな気持ちになる為にも見栄など捨て、自然体のままで理解して貰う勇気と物欲のみに囚われず、また、情報を受身のみで判断する偏った、せっかちな姿勢ではなく、自分自身で見聞する心豊かな余裕ある気持ちを持ちつづけることが重要と思う。

「腹、八分は医者いらず」を忘れずに常に満身の笑顔で接することのできるよう心豊かな日々を送ろうと思う今の心境です。

2009/5/4 月曜日

いつもの散髪屋での出来事

Filed under: 未分類 — wakayama @ 8:53:34

床屋さんと言うべきかことが正しいのか分からないが自分に取っては散髪屋が似合うような感じであるのでここでは散髪屋と呼ばせてもらう。昨日、その散髪屋である「あさ子」に行ってきました。あさ子という名前もまた不思議に縁がある。八戸の人達は思い当たる節があると思う。ここで誤解されない前に説明するがどちらのあさ子さんも共通点は65歳以上の方でご子息とのおしゃべりで妙に話が滑稽?。

自分はいつもその散髪屋を利用するのは向かいが緑湯がある為で散髪が終わったら直行で銭湯に行けることがとても好条件で嬉しいが、ちょっと大変。。。。

昨日も、散髪をしてくれる人は、あさ子さんのご子息の方で「あさ子」さんはいつも通りのとなりの定位置をキープし、座り、私に話し掛けてはご子息がその内容を否定する会話が皮切りとなって散髪が終わるまでそのバトルの繰り返しが続く。

昨日もいつも通りに、その会話の一部を紹介します。

私が「夏も近いので、少々、短めにお願いします。」と言うとあさ子さんが「そうですね。短めの方が気持ちがいいですものね」その会話に即、ご子息の突っ込みが入る。

「短いって限度がありますよ、それにこの方は癖ッ毛ですから無理ですよ」と一発言われ、

「横と後ろの方は短めでも良いですけど、頭のてっぺんは目立たないように長めでお願いします。」と言えば、そのご子息が、「薄くなるのは仕方ないですよ」と2発目言われ、

その後、あさ子さんが「でもね。お客様は、少々薄いけども他の人に比べれば目立たないですよ。」と三発目を言われ、また、その後、言わなくてもいいのにそのマザコン息子が「それでは髪が揃わないで、見た目が悪いですよ。いいですか?」と最後の痛烈な突っ込みの言葉を掛けられ、この散髪屋、二度と来るかと思いながら散髪屋を後に、銭湯にまっしぐら、湯船の中であのマザコン息子だって自分と同年代で薄いくせにと思いながらも鏡の中に自分のある部分をマジマジ見る自分がありました。

是非、皆さんにこの散髪屋をご紹介しますので話のタネに行って見ませんか。

向かいは散髪後の不快な気持ちを解消できる銭湯があります。

 

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