いつでも、どこでも誰かを悪者扱い
今朝、一部、手抜きをしていたホームページの内容を修正し、終了。
ようやく今朝のニュースをインターネットで眺めていましたらアメリカの大統領候補の演説で女性が退席されたという記事を見る。
いつも、どこでも誰かを中傷する話題に目を惹くのは人間の心理なのだろうかと思いながらも今までの時代背景にも同様な事があると思う。
以前は社会主義が悪いとの風潮が、ソ連がなくなったら今度は、イスラムが悪いと風潮する様を見ていると仮想の悪者を作り、非難する、中傷することで話題作りをする。
それを何度も何度も繰り返して言うことがもっとも大衆の心理を掴む上で簡単なものだとヒットラーも言っていたそうです。
イスラムが悪いのではなく、世の中からスピンアウトした、行き場がなくなった人間が、自分の居場所を求め、イスラム国へ行くと聞いていたが、なぜ、スピンアウトをと思うとアメリカ自体が成果主義、グローバルな世界を掲げ、やってきたことが弱肉強食の時代背景を作り上げてきた結果ではないかと感じる。
元々、狩猟民族と農耕民族の視点、観点の相違はあるものの、それをグローバルにすること自体に歪が出てくることは当然ではないかと思う。
狩猟民族は、常に獲物を求めて移動をする。その獲物を見つけ攻撃をする。
今の獲物は、仮想に作った悪者=イスラム、まるでトランプ?ゲームのババ抜きと同様、ババを掴んだら負け、ババを引かないようにすれば勝つ、だからババがなければゲームにならない。
簡単明瞭な事が大衆に受けて当然、手段を選ばずのトランプのババ抜きだけは耐え難い内容ではあるが、偏った一部の人間が言うジハードだけは許し難い、昨年の今頃、惨殺された後藤健二さんの事を思い出します。
化学兵器があると間違った情報を流し、仮想敵国を作り上げ、世界の警察と言わんばかりにイラク攻撃に踏み切ったアメリカがすべての悪の根源ではないかと思います。
「人を致して人に致されず」とういう孫子の兵法にありますが、情報戦が間違えれば昨日のNHKの大河ドラマの武田勝頼のように身内の裏切で崩壊するのではと感じます。