日本のサッカーに思う事
いつもながら日本代表チームのサッカーの試合を見るが、試合が終わる度、後味が悪く、評論家であるセルジオ越後さんの辛口コメントを見ながらなるほどとうなずくこと暫し、応援をしたいものの世界のカベの違いを感じてしまいます。あまりにもマスメディアでの影響なのか華々しく報道をするものの結果がついてこないのも事実。
それはなぜかと以前より感じていたが、理由がわからなかった。
あのエースストライカーの釜本がいた時代と何が違うのかと思いながら、ナイジェリア対日本のサッカーの試合を見ながら、ふと思ったことは、今、戦っている選手もユースチームの時代までは、世界に通用していたように思うが、18歳以上になれば世界のカベができてしまうことに気づく。
18歳以上になれば成長せず、小手先の技能だけでに終始し、Jリーグの中での自己満足の世界に浸ってしまい、世界観も薄らえ、目標とする選手を取違うか、いない点にもあると感じる。
一度、ぬるま湯につかってしまえば二度と冷水を浴びようとはしない人間の様が災い、また、18当時にマスコミに持ち上げられ、チャホヤされることにも成長しない原因ではないかと思う。
このままでは、リオのオリンピックでも同様の醜態を見るのではと思ってしまう。
未だ日本代表のサッカー選手は少年サッカーの延長路線のままであることを危惧してしまう。
基本がないまま、監督の顔色を窺いながらの試合運びとチャンスを作る為の縦パスの数が多く、パスが通らなければチャンスからピンチに変わり、相手にボールを取られ、一瞬のうちに点を取られる有様の光景を見るとうんざりしてしまう。
釜本選手の時代は、クレーマ監督が横からの展開としてウイングの杉山からのパスをゴールする事が基本であると指導していたような気がする。
餌をばらまけば鶏が一斉に餌に集まることから例えた話としてボールの所へ一斉に選手が集まる光景を鶏サッカーと言っていたが、縦のパスだけでは鶏サッカーと同様でただただボールのあるところだけに集中し、次の試合の展開もできず、結局は相手にボールを取られ、命取りになってしまっているよう節が見受けられる。
今、ナイジェリア対日本のサッカーの試合を見るのを放棄し、ブログをしました。あまりにも悲しい場面を見るに忍び難い心境です。
未だ日本代表のサッカーの試合は、18歳のままの少年サッカーの延長路線である事をはっきりと認識した今日のリオのオリンピックの試合でした。