2009/12/1 火曜日

五体満足ながら贅沢な不満

Filed under: 未分類 — wakayama @ 7:29:24

昨日、ドキュメンタリー番組を見ながら感動する。それは、視覚障害ながらも奇跡のピアニストと絶賛される辻井伸行さんの幼少時代からの生い立ちを紹介した番組であった。

生まれながら目が見えない子供への親としての将来への不安に子供と一緒に死のうかと思った都度に子供がその境遇の中、一日、一日を懸命に生きている姿、寝顔を見る度ごとに励まされ、あるクリスマスの日におもちゃのピアノから子供が弾くジングルベルの音色を聞き、共に生きようと決意したことなどを知り、親の尺度だけで子供の人生を判断するものではないと感じる。

「決して上手く弾こうとは思っていない、ただ聞いてくれる人にうっとりして貰いたいだけ」と本人は言っていた。ある時、目が見えないんですかと質問された時に本人からは、「自分は目が見えないけれどピアノは弾けることが嬉しい」と返した言葉が印象的だった。音楽を通じ、人と人との絆をつなぐことができることへの感動を覚えた。

楽譜を見ながらピアノを弾く人よりも滑らかなタッチでピアノを奏でる姿を見ると感性豊かな音色が聴衆者に伝わるように感じる。「普通の人には見えないものが僕には見えるような気がする」と言っていた。自然をありのまま受け入れ、風、川を表現した「川のささやき」などを聞くと忘れていた幼少時代に味わった風に触れた川のせせらぎのような懐かしさを思い出すようであった。

自分自身、五体満足ながら自然をありのまま受け入れること、表現すること、人と人との絆を伝えきれないことへの贅沢な不満を感じながら反省をした。

日々、不自由ない生活が何かを忘れ、不満の毎日を送っているようで物欲だけに拘り、心の豊かさを失っているような気がする。

アメリカを中心とした資本主義の終焉である今こそ、「ポスト資本主義社会」への転換を図る上で心の豊かさを追求するべきとピータ・ドラッカーの言葉を思い出す。

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