2013/6/16 日曜日

入院中の日課

Filed under: 未分類 — wakayama @ 9:41:56

朝6時から目薬の点眼開始、4種類の目薬を5分おきに点眼する。リンデロン、クラピット、ミドリンP、アトロピンの順に点眼。リンデロンは、ステロイドでクラピットは炎症を和らげる目薬、ミドリンP、アドロピンは目の瞳孔を広げる為、点眼するとぼやけるし、天気の良い日は外の景色がまぶしくなる。

殆どの病気の方々に上記の目薬が適用されている。6時、9時、12時、15時、18時、21時の6回の点眼時刻と私の場合、6時、14時、22時の点滴がある。その間に朝食、昼食、夕食と朝の9時半頃までが先生による目の検査で退院できるかがここで決まる。

さらに目の視力と眼底検査、レントゲン撮影などが14時以降にある。私みたいに目の視力が極端に下がった人間は、視力検査が屈辱的な時間である。
しかし、後で1Fの視力検査をするS様より聞いた話しによると検査する方も患者の病気を知っている為に気の毒になることがあるが、その人の為に的確に対応しなければいけない点もありますと言われ、自分自身の患者としての目線のみでの判断であることを反省する。

私自身、病院に入院するのも初めてであった為に同部屋の方々へどう挨拶すればと戸惑いながらも挨拶をする。白内障で入院する方は、1泊2日程度、その他の病気でも1〜2週間程度で部屋の回転率が良い。

同部屋でH.S様、K.N様とは、部屋以外でもロビーなどで会話をする為、気さくに話しやすかった。訳け合ってロービで話す理由があった。

それは、同部屋の患者の見舞いの点で問題があった。病室で見舞いができる時間は20時までであるが、毎日のように82才のN様の娘が、見舞いに来ては昼時間に話すように大きな声で会話をするので聞きたくなくても聞こえる。寝れない。当初はH.S様が毎日見舞いに来る娘を見て親孝行だと関心したようだが、今は邪魔と感じ、同部屋の誰かが注意をしてくれることを期待しているが、誰もが出来ず、娘が帰るまでロビーで待機していることが実情である。

それにNさんは、目の手術でガスを注入した為にガス抜きをする上でうつぶせで寝ることを強要されていることで変な残像を見たりして深夜2時に「どちら様ですか」と言い、部屋の電気をつけることがあった。
その娘が昼に看護師さんに言っていたことを思い出す。それは、おかっぱ頭の女の子を見たんですよお父さんが、。。。。。を思い出し、本人に朝食時、深夜の訪問者の件を確認したら、別部屋のおじいさんであったと話したりで幻想なのかが不思議。

あらゆることがおき、点滴が22時開始、終了するのが早ければ23時、遅ければ26時頃に終わる為、寝不足で血圧も上昇。    
それに点滴後の病気も小康状態で改善目処が見えない。あせりと不安も上昇、同部屋のK.N様も術後の経過も良くなくお互いに不安で相談しながら最終的には、自分の身は、自分で守ることが結論、自分の体は、自分がよく分かるでお互いに納得する。

そうこうしている内にH.N様が退院し、退院後の初回通院時、病室に顔を出し、社会復帰後の話で元気を頂きながらも自分はいつ頃になるかが不安、同部屋では、K.N様、N様を筆頭に段々、部屋の主になることへの複雑な心境。

とうとう私が入院して1週間後、K.N様が退院、次にN様が、最後にN様へ掛けた言葉が「幽霊も一緒に持っていってください」と言ったら聞いているかが分からなかったが元気に手を振りながら笑みを浮かべていた。

退院する方々一人ひとりよりいろんな事を学んだり、元気を頂いたり、すべての人が決して良い状態での退院ではない点で不安と動揺が交差しながらも前向きな気持ちで退院していく。

自分の体は自分が良く知るからこそ自分を信じ、守ると言ったK.Nさん、片目で見えるからまだ良い方だと言うN雲さん。犬の散歩ができると喜ぶK山さん、手術後、ミスであったことを気がつき、執刀医に再度、再手術されたSさん、退院当日の朝、再手術された方、いろんな患者さんを知った。

いずれ皆が退院したら何処かに集まり、会合をすることを約束する。お互いが不安を抱えながらも相互に励ましあったり、常に相手の目線で物事を考え、一喜一憂、失明するという恐怖、どん底を経験し、今日より明日、常に希望を持つことが人生の中で一番大事であることと「神は乗り越えられない試練は与えない」を常に忘れずにいたいと思った。

とうとう入院して2週目となり、私が部屋の主、その後の退院まで経緯を紹介していきます。

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