命てんでっこ
昨日、テレビ朝日の震災に関する報道を見ていたら田老出身で86歳のおばあちゃんで津波被害に遭い、津波の怖さを忘れないようにと語り続けているとの内容を照会していました。
その中で津波が来たら「命てんでっこ」だよとおばあちゃんが言っていることが印象的でした。
てんで=それぞれ、めいめいという意味で、「っこ」が付くのは、東北の方言で、かわいい、愛着がある、また形容詞の複数型の意味で言います。
例えば、すがっこ=氷、わらすっこ=子供達、どじょっこなどを呼ぶ時に言いましたが、今の若い人達は、あまり言わなくなっています。
「命てんでっこ」の意味は、津波や災害があった場合は、自分の命は、それぞれ自分しだいの行動で決まるということなそうである。
その番組を見て、いまだ安否確認ができない母親に対してこれも自分が決めた運命なのかなぁーと思うと少しは、心が落ち着きました。
そのおばやちゃんが、津波を祖父と同様に今回の震災により2度、経験したことで、まさか自分までがと思ったそうです。
最後に言った言葉が「怖いところには2度と住みたくないですね」と言っていたことが印象的であった。
今、震災から人的ミスによる災害なのか放射能漏れ、昨日の富士山近郊での地震などが頻繁に発生している中で、東電への対応だけを鵜呑みにしている政府の策は、無策である点に憤りを感じています。
計画停電とは言っているが、その日、その日でグループの停電時間が流動的な内容が果たして計画停電かと疑問を感じます。
それこそ、国民一人一人が、日々の生活における計画が立たないこととどのようにしてグループ分けをしたのか訳がわかない。
何で震災にあった方々が、放射能漏れの為、疲れ切った体に鞭打つように、さらに避難して下さいとは不条理な事で、それで放射能を浴びているかを検査されている方々だけが防護マスクをしている光景を見ると被災者に取っては、どんな気持ちなんだろうかと思えました。
こんな時だからこそ一国の総理大臣としてその場へ行き、被災者に手厚いケアーをする姿勢と今後の方向性などに確固たる指導力と実行力こそが求められると判断します。
国民の一人として○○党、○○党などによる足の引っ張り合いをすることなく、目の前の危機的状況を克服する上で団結し、乗り越える策を講じて欲しいと思います。
我々国民も、事業仕分けのようなその場限りのパフォーマンスに振り回されることなく将来の日本としてどうあるべきかをじっくり考え、国会議員を選出したいと思いますが、そんな事を言っている場合ではないと買だめ、ガサネタなどに便乗する軽率な行動をする国民がいるのも現実です。
目の前の危機的状況だからこそ今、出来ることとすれば「命てんでっこ」の「っこ」の意味を良く考え、行動をすることが望まれると判断します。